My pleasure


またまた、英語のタイトルとなってしまったが、さぁ、このフレーズどこに出てくるのやら。
私は、形式ばって飾り立てたような表現は好きではない。手紙だって「拝啓、新緑の候・・・」だとか、手紙の書き方辞典の転用のような気取った文章からは、本来の心情がにじみ出して来ず、でつまらなく、心にじかに響いてこないと思うのである。美しい文章がイコールいい文章だとは限らないので、単に知識や文章技術があればいいのではないと考えている。やっぱり心の盛り上がりが有るか無いかにかかっているのである。それはどんな技巧を持ってしても太刀打ちできるものではない。
両方あればそれに越したことはないのだろうが、そうそう上手くいくものではないから、欲張らない方が懸命だ。感情が上回れば冷静に形式や装飾などまで思いが回らなくなるものだ。その考えを作品である写真にまで、及ばせるのは感心しない人も多いだろうが、ほとばしるものを少しでもスポイルしてしまうのなら、無い方がいいと思う私なのである。
しかし、写真の世界では一般的に技巧を選ぶ方を薦める風潮がある。それは機材が売れ、技術系の書物が売れ、写真関連ビジネスが潤うからだろうな。天邪鬼だと自負する貴方なら甘んじてそれに乗せられて満足かな?

男女の関係は年月の経過とともに、男は女の魅力を忘れ、女は男の魅力に無関心になる傾向がある。多かれ少なかれ、これは認めざるを得ない事実だろう。しかし、こんなことを言ってしまうと身も蓋もないし、私がここで書いていることらしくないので、もっと短いスパンで感情の移り変わりを考えてみることにしよう。
たとえば、付き合いだして間もないカップルが待ち合わせをしたとしよう。10分前に約束の場所にはやる気持ちを抑えつつ到着。さてどんな服着てくるのかな?なんて思いながらいい気分で待つが、約束の時間を5分ぐらい過ぎるころまでは、どうってことない。むしろ、胸を弾ませて待っている。15分を過ぎるころあたりから、だんだん不安になってくる。苛立ち始めて、30分も待つと半ば怒りをともなった感情が込み上げてくる。(俺は時間にルーズなやつはダメなんだよなーってね)しかし、それを過ぎると、頼むから早く来て・・・事故にでも遭ったんじゃないかな・・・そう言えばさっき救急車のサイレンが聞こえていたような・・・なんて哀願するような気持ちが生まれる。そんなタイミングを待っていたかのように、愛しい相手が走って来る・・・怒りも何もかも吹っ飛んでしまう。
ほんの1時間ほどの間に、感情の波が面白いように上下するのである。
そんな気持ちの変化を一度の撮影の中で表現していきたいと思っている。撮影会のようにニッコリ中心では面白味がないではないか。
また、大人同士の恋愛のカタチとしては夫婦間や、それに向けての恋愛ってのが普通多いのだろう。しかし、それらとはまったく次元の違う感覚で純粋って言うのか、混じりっ気のないもっとストイックな感情に支配されたものでなければつまらない。

そして、恋愛も撮影もお金を掛けない部分をもっと見直したいと思うのだ。いいクルマでドライブして、ホテルのレストランで食事もいいだろう。しかし、そんなことをしてあげたからといって、本当に気持ちが豊になるのだろうか。そんな事より、ファーストフードと線香花火を持って、誰もいなくなった真っ暗な砂浜で、ちゃんとした愛の言葉を贈ってあげたり、Kissをするのもいいものだ。言葉もKissもまなざしもタダだけど、それだけに価値があるともいえるのである。
撮影だって同じで、スタジオや衣装にお金を掛ければいいってもんじゃない。

そして、それで相手が少しでも喜んでくれたら、それはMy pleasure(私の喜び)以外のなにものでもない。何かを贈ってもそれはすべてMy pleasureからなのである。


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