潜在意識が蘇る時


雨に振られ少し肌寒い月曜日の昼下がりのこと。駅の改札を抜け、長い階段をトーントーントンっといつものように一段飛ばしに登ってホームに立った瞬間、誰かにじっと見られているような鋭い視線を感じたのである。この辺りのこんな時間に知り合いなど居ないはずなのに、何だこの感覚は?なーんて思いを馳せたようなそうでもないような。それぐらい一瞬の感覚で見あげた先には大きな看板があったのだ。それはKIRINのWO:(ウォウ)なる飲み物の看板であった。そこには大きく柴咲コウが写っており、こちらに強い視線を送っていた。
ジャングルを連想させるような深い森の中でまるで女兵士が身を隠しているようであり、雌ヒョウのようでもあって、うつ伏せになって射るような視線を向けているかっこいい写真であった。柴咲コウって以前から目力のある女優だと感じていたが、その思いは間違いなかったのだと無意識の中の視線に感じさせられた瞬間だった。

実際に、生きた人間からの視線を感じる事って普段からよくあるが、写真を人影と見間違うことは時々あっても、視線だけを浴びせられているのを感じることってほとんどない。それを感じさせられたってことは、この写真の中の柴咲コウは生きていたのであろう。そして、きっと何かを強くイメージして撮影に臨んでいたはずである。
そんなことを思いながら、1,2分ほど写真を眺めていたのだが、内回り環状線がホームに滑り込んで来なければ、10分でも20分でもイライラせずに電車を待てたはずである。傍から見れば、よっぽど柴咲コウが好きなヤツに見えたことであろう。やっぱり、見入ってしまう写真が一番だよな。
また、同じWO:の宣伝をTVでも流しているが、動いている映像を何より楽しみにしているファンと違って、たった一枚の静止画の方が何倍もGood!で、この柴咲コウの目は女が男を見ているようにもしえるし、まったく違った次元での視線のようにも感じたが、そんなことを思い描くのも面白いもので、                                                                                                         久々にいい写真を使った広告を見たって感じがした。

歌の歌詞なんかでは男女の余韻嫋々たる恋の語った表現が一番多いが、やっぱりそれが一番心に染みるようである。
自作自演で歌うケースが最近多いが、同じようにモデル一人がイメージを浮かべてカメラマンはそれを撮るだけなんてつまらなさすぎる。作詞家の思惑があり、そして歌い手の経験や感情が入り混じって表現されるのと同じように、どちらかだけよりずっとイイと思うのである。

モデルが何をイメージしているかなど聞こうとは思わないし、こうしろあーしろと細かく指示もしないが、それを受け止める私も単にカメラを操作しているだけでは無いのである。
そんな感じで、今日は恋愛について想うがままに書いてみよう。こんなことを脳裏に浮かべながら撮っている時もあるってことで、それはその日その瞬間で変化するが、モデルが送ってくる気を受ける時に何も考えないことはない。
そのモデルとの相対した時に、そのシチュエーションに応じて私の中の潜在意識が頭をもたげるのかもしれない。

まずはこんな話から。食堂やレストランの前に並んでいるサンプルの定食を見るように、味も値段も分かっている相手なんて、安心かも知れないけどどこか物足りないよなー。やはりどこか謎というか、期待というか、先の見えない未知の相手にすごく魅力を感じてしまうものだ。
学生時代の恋愛や、私には縁がなかった職場恋愛などでは隣の課とか、学生なら隣のクラスとか、たとえ同じでも僅かな期間とか。相手の裏の部分まで、まだ良く分かっていない時点でくっついてしまうことが多いのも、そんな裏の心理があったりするのだろうか。
そう言えば私も高校入学後、間もない時期に隣のクラス女の子と付き合出だしたことがあって、教科書やノートを貸し借りしたり、私服OKの高校だったこともあって、私の大きなadidasの上着を休憩時間に取り上げられ、そのまま隣のクラスにブカブカのまま着て行かれたり、彼女の愛犬サラを一緒に散歩させたりと、可愛い時代もあったわけだ。

片思いは一人でするものだけど、恋愛はそれぞれのカップルに差こそあれど二人の意志がどうしても必要だよなー。でも、これは先を夢見るプラス思考の考えで、逆にこうも考えられる。恋は両方の意志で始まるのに、恋の終わりは片方だけの意志でいいってことか・・・マイナス思考かもしれないけれど、こっちの方がハートに響いたりして。

生理的に受け付けられないの「生理的」ってのがあるよなー。でもそれって女の方が男以上に重要な位置を占めるのかも・・・不思議なもので、A男さんのことみんなはたいしたことはないと言うけれど、B子さんにはこの上もなくハンサムに見えることってあるようだ。どうやらこれも逆パターンで「生理」のなせる技なのかも。

この間まで、一番愛しくて、一番分かり合って、一番近くに存在して、一番信頼してた人が、ある時をさかいに二番でも三番でもなくなって、どこの誰よりも遠い人になってしまう。
「別れた後も、いいお友達よ」なんてよく聞く話だが、そんなのキレイ事なのかもねー。

恋をして自分を嫌いになってしまう時があったりするようだ。それは、自分の一喜一憂がすべて彼(彼女)の手にゆだねられていることを自覚した時かな。彼(彼女)と喧嘩したり連絡が途絶えると、それだけで毎日が憂鬱になってしまう。何をしていても気分が晴れる時がないなんてね。

幸せになりたくて恋をしたのに、実際にしてみると、何もなかった時よりずっと切ない気持ちになる。なんてこと誰だって経験してるんじゃないかな?

なーんて、取りとめもないことをカメラマンだって想ったりするものだ。モデルのネタバラシがない代わりにこんなので我慢しておくれ。
でも、この中にひとつやふたつ思い当たったり、なるほどなぁってならなかった?
結論としては、写真の知識があって的確にカメラを操作できれば、それだけでポートレートが撮れると思ってたとしたら大間違いってことね。要は目の保養じゃなくて、ハートに美味しい写真を撮りたいもんだね。


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